2011年 03月 30日
待つ能力 A・Wトゥザーより
イエスが二千年前にこの世にこられたとき、聴衆に「主の日」が来つつあると言われた。そして天の父以外にだれも、その日、その時を知らないと言われた。
世界の邪悪の杯が溢れるまで、神の忍耐と恵みの時を耐えて待つ。と私たちは理解している。
聖書によると、忍耐は(待つ能力)は、聖霊の実の一つである。
私たちの人間的部分、生来の部分は、何に対しても待つのを好まない。
しかし偉大な全能の神は、ご自分の目的を達成するために永遠のすべてを持っておられ、待つことがおできになる。私たちは被造物の焦りから、「ああ、神よ、いつまで?いつまで?」と叫ぶのである。
すると神は事実上、「なぜあなたはそのように急ぐのか・私たちの前には永遠が広がっている。」
と答えられるのだ。
~単にキリストが来られる事を知っていて、それを望むだけでは十分ではない。
それは一人の魂の一生の中心になる重大な危機である。
魂を引き付けるものが地上から天に移動され、来るべき世界の力の下での暮らし方を学ぶのである。~
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なかなか収束しない原発事故に毎日心が乱されて、祈る気持ちが遠のきそうになることもある。
放射線が異常な数値で計測器を振り切るほど汚染されてしまった町でも、自分の家財道具を取りに行きたいという、避難されている方々の気持ちが、強く強くわかる。行かせてあげられたらどんなにか良いし、私自身も多少の放射線を浴びても、家を見に行きたいし、いくつかのものをとってこられたらと思う。が今は、忍耐のときなのだ。
今が正念場。苦しみながら待つ、待つときなのです。
「この苦しみ、悲しみ、辛さに耐えられる人間だから、乗り越えられる人間だから。」とこの困難が私に与えられたのだと思える。今までの人生で天から与えられてきた溢れ出る恵みを一つ一つ感謝し、これから天のお父さんが私に与えてくださる一つ一つを、心乱されずに祈りつつ受け止めて、感謝していきたいと願った、今朝です。(愛理)
by dynabooksx
| 2011-03-30 08:00