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人と人の繋がりのこと

最近、妻が原発問題について調べて次々と書き込みをしている。私もそれとは違うことを何度か書こうとするのだけれども、途中まで書いてまた消してと最後まで書くことができない。

今朝、不思議な夢を見た。誰かと関わりたくて盛んにちょっかいをかけているところである。ただ、うまくいかなくてまたちょっかいをかける。時間が少し経ってくると、失ったものの大きさが分かってくる。何に喪失感があるのかというと、人と人との繋がりだ。私にとっては、会社の顧客とのつながりや、何よりも日々の社員との関係、毎朝の朝礼での御言葉の時間が最高に楽しみだった。今、そういうものから切り離されて、放心状態というか何の迫りというか、行動の意欲が出ないのが現状だ。ここ愛知県では、周りを見渡している限り、地震や災害があったことなどほとんど感じることがない。移動してから揺れを感じたことは一度もないし、3月11日の時も、気づかないほどだったという。

関東に出てきた時も、店は開いているし、道は割れていないし、別世界のように感じたが、ここは心が苦しくなるぐらいに何事もない世界だ。テレビで何度か双葉町内で最後まで残っていた老婆の映像が流れたが、あそこは我が家のほんのすぐ側で、あれが原発から5kmだというのだから、うちも同じ同心円の5kmあたりだということになる。あの家の裏手には舗装されているが薄暗く細い山道があって、そこを早朝自転車で走っていたら、いきなりイノシシと鉢合わせになって危なく衝突するところだったこともある。今年に入ってからは、十分に自転車で走り回る時間がなかったわけだが、至る所思い出のある場所だ。物というよりは、人との繋がりから切り出されると、やはりつらい。そんなことを改めてかみ締めている。

今回のようなことを全く予想しなかったわけではない。すべての出会いは一期一会かもしれないとは以前から書いていたし、そのつもりで接してきた。相手の命も自分の命も明日は保障出来ないからだ。その点についてはここ3ヶ月に悔いはない。ただ、今ここで避難しているわけだが、私というタイプの人間は強い使命感を常に感じていないと活動の意欲が沸いて来ないらしい。しばらく、糸の切れたたこのような状態になっている。これが、いまだ被災地で、復興の為に日夜必死の作業をしているというのであれば、何も考えず生き生き過ごすということも出来よう。だが、我々の地域は、海岸線で流された遺体を収容することすら出来ない。他の地域が復興のため瓦礫を片付けて、次の段階に移っていくときに、原発周辺だけは時間が止まっている。

だんだんと生きているのか死んでいるのか分からない状態になっていくようだ。災害を感じない地域にいるのが苦しくなってきた。かといって、子供を連れてあえて福島市まで帰る理由もない。そこまで行けば、自分のことだから、きっと車と自転車で双葉への進入を試みるだろう。

でもどうしたらいい? これで終わりになるはずはなかろう。周辺地区に入ることが出来るのは3年後なのか10年後なのか30年後なのか。それとも考えられない解決法があるのか。スッパリそこをあきらめろということなのか、そんな短期間で整理がつくものではない。もし移動するなら、二度と思い出さないぐらいの遠い離島とかそういう所に行きたい。ヨハネが啓示を受けたパトモス島みたいな所、、、。きっと愛理は嫌だというだろうな。

祈りの内容や、幻でのことが恐ろしく現実とリンクしてくるので、もうここいらでお役ごめんで終わりにして貰いたいと思っている。時間がないとは言っても、こんなに急展開はちょっとやり過ぎでしょう。いつも、繰り返しの日常が特別なんだと話して来ましたが、こうしてみると本当にその通りです。誰も、自分の命をあと一日とて延ばすことは出来ないからです。

ああ、やはり心の中を吐き出すと少し落ち着いて来るようです。もうしばらくそっとしておいてほしい。回心したパウロのように、アラビヤに退いて、静まって再度関係を見つめなおすそんな時が必要なようです。

今日一日を感謝して、、、。 真也より。
by dynabooksx | 2011-03-29 14:27 | 真也の視点

真也の歩み、愛理の子育て日記。私たちは福島第一原発5kmの双葉町民。時代は動く。私たちはその目撃者になる。画像のペレット&薪ストーブは、真也の施工作品。新天地を暖かく燃やし照らしてくれる。
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