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栄光の道~自分に死に、キリストに生きる道~

難しいが栄光に満ちた道

だれでもわたしついてきたいと思うなら、自分捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしついて来なさい。 ルカ9:23

深みの生活に入ることを求めている人たちは、霊的な問題に関しての最終的な権威として、新約聖書を全面的に受け入れなければならない。そしてキリスト自分の人生最高の主、統治者とする思いがなければならない。
さらに、自分の全存在を十字架の破壊力に明け渡し、自分の罪だけでなく、義に対しても、また以前誇っていたすべてのものに対しても同様に死ななければならない。
 もしこれが過重な犠牲のように見えるならば、キリストは主であって、私たちに対してどんなことでも思い通りに要求できる方であること、その方が私たちに自分捨てて、日々十字架を負うこと求めておられることを思い出さなければならない。
 それに続く聖霊の強力な油注ぎによって、取り去られたものに比較できないほど多くのものが魂に回復されるようになる。この道は困難な道ではあるが、栄光に満ちたものである。その甘さを知った人々は、失ったものについて不満を言うことは絶対にない。代わって与えられたもので十分に満足している。

 人間の惨めさの一つに、我意があるが、至福の秘訣の一つは、自分自身の意思征服することである。それ神に明け渡すことは、休息であり、平和である。

                       ~A.W.トウザー聖書日課より 2月29日~


+++++引用終わり+++++


私が頻繁に引用する聖書箇所である。基本的に私は十字架しか語らない。十字架、自分に死ぬということを好まない場所、反対の勢力が強い場所に行けば行くほど、強烈にそれを語るだろう。多くのキリスト教会では、シンボルとしてこれを掲げてはいるが、その本質についてまっすぐに説かれることは少ない。だれも死にたくないし、人殺しにもなりたくないからだ。日々十字架を背負ってだぁ?? 何アホなことをいっとるんじゃあ(何故か関西弁) というのが普通だろう。誰もそんなことを望まない。だからこの道は狭き門、見出す者が本当に少ない道、行きたがる人がほとんどいない、一人通ればしばらく間があいて、雑草が茂り始めるような道なのだ。

いつも通り赤青で色分けしてみた。ブログを読み続けている人ならこれが何を意味するものであるのか、おおよそ分かるでしょう。不思議じゃあないですか。普通で書くべき、「死」やそれを意味する「十字架」が神や命を表すで表記されるなんて、、。

月並みないいかたですが、十字架は本当にスゴイんですよ。神であられる方が、私たちのために罪ある者とされた。それは罪ある私たちが、神との関係を回復し、生きる者となるためであった。のために、青と見なされることさえ否まれない。そのことによって自らの罪気付き赤へと行く道を知ることとなった。とまぁこういう寸法です。

そして、この道に生きるものは、キリストの霊を内側に持ちますから、彼と同じ道をたどる、同じ方向の生き方をします。以前青であった者キリストの命によって赤へと変換され、今度は救うため青の中に飛び込んでいき、その犠牲でもって回復させるわけですね。これがキリスト者の生き方です。単純な話なのですが、世の人には理解不能です。完全に世に逆行した生き方をするので、損得勘定では全く測ることが出来ないからです。天国まで入れた損得勘定なら十分分かるんですけどね。それだけのことです。
by dynabooksx | 2011-02-26 07:22

真也の歩み、愛理の子育て日記。私たちは福島第一原発5kmの双葉町民。時代は動く。私たちはその目撃者になる。画像のペレット&薪ストーブは、真也の施工作品。新天地を暖かく燃やし照らしてくれる。
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