2011年 02月 18日
声に応答すること
パウロは素晴らしい。パウロが現代にいたら、、、。ルターでもウェスレーでも良い。直接彼の話を聞くことが出来たなら私はクリスチャンになっただろうという人がもしいるとしたら、それでもその人は受け入れないだろう。そんな話か、つまらないというのではないか。当時のパウロの世評もそのようなものであった。もし、イエスが二千年前のように、そこいらの道端を歩いてメッセージをしていたとしても、おそらく彼がキリストだということには気がつかないだろう。それが「罪」ということなのだ。神なるものを神としないで、そうではない自分に都合のよいものを神としている。これが、「偶像礼拝」の霊的本質である。
父なる神は、聖霊を通して、イエスを通して、その犠牲の死、血を通して常に語られておられる。それを必死にかき消していることに気がついてはいない。それをどこか遠くでキャッチしていればこそ、自分の人生のボリュームを最大に上げてその声から耳を塞いでいる。なぜそんなことをしてしまうのか、、、。問題は、罪の根なのだ。罪によって目がふさがれている、耳が塞がれている状態では、そこに映るのは隙間から漏れる鈍い光でしかない。この状態では、それが創り主からの声なのか、それとも欲でもって誘いをかけてくる敵の声なのか見分けが付かないのだ。だから一様に押し殺してしまうのだろう。でも、よく考えて欲しい。それこそ敵の思うがつぼなのだ。神の声がより遠くなり、また自分の存在もまるでないかのように押し殺してもらえる。そんな活動のしやすい場所がどこにあるのだ。敵は大喜びでせせら笑っている。
残念ながら、聖書の言うサタンは実在しないのだ、空想の産物なのだと、意識のそこに押し込もうとしても、それで敵の攻撃が止むことはない。戦いが起こらないのだとしたら、それは最初から敵はあなたを脅威として相手にしていないのだ。
5:8身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている。 5:9この悪魔にむかい、信仰にかたく立って、抵抗しなさい。あなたがたのよく知っているとおり、全世界にいるあなたがたの兄弟たちも、同じような苦しみの数々に会っているのである。 Ⅰペテロ
心の奥に沈めてまるで無いかのように振る舞っても、その猛威は止まらない。立ち向かい、抵抗し続ける他に手段は無いのだが、今それをする力は持ち合わせないだろう。なぜなら、その暴風雨のような攻撃を押さえ込むのがやっとで、内なる声も同時に塞いでしまっているからだ。だから袋小路になる。「罪人はこれを救うことが出来ない」というのは事実なのである。これは、人間の力では解決不能な問題なのだ。この絶望的な現状で力を出し尽くし、死を覚悟して諦めた人から順番にその声に気がつき、解放されていく。力を出し惜しみしてバランスを取って、まだ自分の人生を確保している人に、完全な解放と自由は訪れない。
遠くから吠えても虚しい叫びになっていることは分かっている。それでも言う。あなたの内なる声に耳を傾けなさい。
+++++以下、日々聖霊に満たされて、、、。A・W・トゥザーより+++++
私の見ないことをあなたが私に教えてください。私が不正をしたのでしたら、もういたしません。 ヨブ34:32
内なる声、人間の良心の声を封じることは、大変危険である。たとえばある人は、習慣的に嘘を言う人に対して、怒りの声を上げて抗議をするのを封じてしまう。封じなければ、その声は習慣的な不正に対しても雄弁に抗弁し、ねたみや他の罪に対しても非難をするかもしれない。(ちょっと言い回しが難しいが、落ち着いて読んで欲しい。声を封じるなということだ。)
良心に抵抗すること、そして内なる声を無視することは常に危険である。あなたの内なる霊、深奥の存在に向かって、主に語りかけていただこう。あなたの中には、誰にも頼ることができず、非難をひとりで受け止めなければならない良心ーーーがある。それは、あなたに、頭をうなだれさせ、だれも見ていない間に、忍び足でその場を逃げ去りたくさせる声である。
私は人間の良心に感謝する。もしも世界に良心と神の声がないならば、私たちはみな、ただちに獣になるであろう。その声ーーー会衆にではなく孤独な魂ひとりだけに説教する内なる説教者ーーーがあなたに語りかけているならば、今、応答していただきたい!
重要なことは、自分自身に聞くのではなく、黙って神に聞くことである。
+++++引用終わり+++++
神がどのような方であるか分かれば、聞くことも出来るでしょう。しかし、よく分からない方に、空しく黙って聞くということは出来ないでしょう。それが問題なんですよ、トウザーさん、、、。彼らの人生の上に、キリストが姿を現してくださるように、、。
by dynabooksx
| 2011-02-18 05:28
| 真也の視点