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主の求められる条件で

2月9日 主の求められる条件で

しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。 ヨハネ1:12

 二、三百ではなく数千人の聴衆を集め、知性と同じくらい油注ぎを受け、洞察力と同じぐらい力を持つ人が出現するなら、福音主義のキリスト教を現在の袋小路から救い出すことがまだできると私は信じている。私はあなたがたに警告したい。群集が集まり、にぎやかな宗教活動が行われ、宗教的な考えのうねりなどがあっても、それで大量の霊性があるなどとだまされてはいけない。なぜならそうではないからである。
 そういうわけで、「受けた」ということばの意味がとても重要である。「この方を受け入れた人」とは、精力的に、そして、積極的に受け入れたことで、断固とした意思の行使を意味する。それは主が備えられた条件を否定しないことである。そしてそれは、私たちが今あちらこちらで聞かされているものとは全く異なるものである。
人々は主の所に来て、折り合いをつけたのではなく、積極的に主とその要求を受け入れたのである。

 聖別されたいのちとは、すべての事項で聖句に順応したいのちである。それは、私たちの心と話し合う。そして次に私たちの耳に届く。それから私たちの足で完成する。


+++++引用終わり+++++


そう、まさに「受け入れた」という言葉の意味、中身が重要だ。人々は簡単に「私は受け入れた」と言うだろう。「信じた」と言うだろう。本当なのかい?? と私は聞きたい。とすれば「神の子どもとなった実感」があるはずだ。イエスと同等の存在だという自覚。神の莫大な財産を受け継ぐのだという自覚が生じ、また神が与える使命に忠実に生きようとする強固な意志が生じているはずだ。

 先日ある牧師と「罪からの解放」ということについて議論になった。私はそれが、突き詰めるとキリスト教には救いはあるのかないのかという重要な内容を含むと思われたので、黙って見過ごすことができなかったのだ。その際私は、この「神の子とされる」ということを引き合いに出した。神の子となるとは如何なることなのか。神の子だということは、神の性質を持つということではないのか? 神の子が成長したら何になるのだ? 神になるのではないのか、、、、。そのように話を進めていったら、「それは違う、あなたの信仰はおかしい!!」との指摘を頂いた。しばらく話を続けて、とりあえずここではその「違い」があることを認識しておけばよいが、現在の自分の見方や感じ方はひとまず横に置いておいて、聖書が何と言っているのか、それをそのまま一度受け取ってはみないかい? と勧めておいた。また自分は受け入れられない、そんなことは信じられないというのならば、「信仰」というものは、如何なるものなのだい? とも添えた。おそらく、人の話をうのみにするばかりで、徹底的に聖書とその書き手である聖霊に問いかける、という過程を経てきていないのだろう。
 話を進めていって分かることは、仮に何十年と牧師という立場を続けていたとしても、実際には「受け入れてはいない」のである。その人は、私に大いに傷つけられたと語っていたが、この現実に至らないと「信仰」は始まらないのだ。私は、他人を傷つけ得る存在だということを否定しない。だから私が神に従っていないだろうという推測は、それ自体がイエスを受け入れていないことを証明している。自分勝手な神、自分に都合の良い神を描く者達よ。彼の十字架によってどれほどの人々の期待が裏切られ、傷つけられたかを知るがいい。彼に付き従った人々はみな散り散りになっていったのだ。イエスの十字架は、我々の期待を絶望へと変えた、つまづきの石なのだ。それを通らなければ、私たちは命へと至ることができなかったからである。親は愛する子を懲らしめる。このような密度の濃い人間関係を、きっとこれまで味わってきた事がなかったのだろう。自分が憎まれれてまで、相手に介入しようとする者が、なかなかいないからなのだ。

受け入れたつもり、信じたふりをさせておくというのが一番性質が悪い。受け入れていなければ、受け入れないと言えばよい。イエスの弟子達も半信半疑で疑問をぶつけながら、ブーブー言いながらついて行ったのだ。イエスは、私たちが自分の事を正しく認識していないことなど百も承知なのだ。その上でついて来なさいとおっしゃる。信仰はこうしてスタートするのだ。そして、いつの日か真実を受け入れざるを得ない時が来る。その時にはじめて、神の子となる特権とその実感を与えて下さる。それに至った人は、天からの声を聞くことだろう。

「これぞわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と、、、。 マタイによる福音書3:17


追記、、。  だから、自らの腹を肥やし、欲を満たすために、気軽に受け入れたことにしておく、信じたことにしておくという事を許容し、見せ掛けばかりの教会員づくり、牧師づくりをする者ども。お前達は、彼らから救いの道を断ち切っているのだ。分かっているのか、その罪はそのまま自分へと返ってくる。覚えておけ、隠れた事が全て明らかになる日が必ず来る。
by dynabooksx | 2011-02-09 19:36

真也の歩み、愛理の子育て日記。私たちは福島第一原発5kmの双葉町民。時代は動く。私たちはその目撃者になる。画像のペレット&薪ストーブは、真也の施工作品。新天地を暖かく燃やし照らしてくれる。
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