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キリスト教に漂う死の香り

このタイトルで書こう書こうと思いつつも、半月が経ってしまった。朝起きて、昨日妻が書いた文を読むと、彼女も同じ事をかぎつけたことが分かる。それで彼女が感づいたことの先を私が説明しよう。


皆さんはキリスト教と聞いて何をイメージするだろうか。ニコニコした人当たりのいい親切な人たち。大きくこぎれいな建物、賛美歌。なんとなく清楚で美しいものを想像するのではないか。しかしその一方で、どうも血なまぐさいものを感じている人はいないだろうか。キリスト教の歩みはまさに血塗られた歴史だ。多くの信者は否定するか、知らないふりをするかもしれない。迫害され殺されるのはクリスチャンで、危害を加えるのはそれ以外の世人であると、、、。確かにそれは当たっている。しかし、多くの人は、何をもってクリスチャンとしているかが明確でないので、一般に言う「教会の歴史」として見たとき、それは血で血を洗う歴史であって実は「クリスチャンと呼ばれる人々」が多くの人々を迫害し殺戮してきたのだ。話しの流れがここまで来ると、「ああそういうことなら、あれは違うんだよ。一時の間違いで現在のキリスト教とは関係がなかったんだ」とか能天気に思うかもしれない。しかし私が言いたいのはそういうことではない。

私がここで一つ焦点を絞りたいのは、「クリスチャンだと言われる人々」が多くの人々を「異端」だとして殺戮、消滅させてきた歴史なのだ。これについて、教会側は普通多くを語りたがらない。語るとすればその異端者たちや異教徒たちの獰猛さ、野蛮さ、地上に生かしておくことの危険さを語ることだろう。世の中には「異端」だと呼ばれるキリスト教に対して血眼になり活動をする人々がいる。きっとなにか気に障る嫌な出来事でもあったに違いない。これについては別枠で書くつもりでいるのだが、それに対する攻撃性には目を見張る。中世のように、文字通り権威による殺戮までは行かないが、それに近い勢いを感じる。

このブログを読んでいる皆さんは、私の信仰の立ち位置をどのように感じますか? 異端だと感じますか。そこまでは行かないがかなり窓際族だとか、、、(笑) 私としては、そのあたりの見方が最高なのですが、私に言わせてもらうとキリスト教会が世の中の一勢力になってしまうと、多かれ少なかれその性質は「世」なのです。これはある意味、避けられないことだと思っています。世の人々に焦点を合わせ、その人たちの満足、または関心を引くように進んでいけばまさにそうなるのです。教会成長等に一生懸命になり、教会員を増やすことに夢中になる教会などは、その典型でしょう。

私は別にそれを否定するつもりもない。それは歴史が繰り返してきたことでこれからも繰り返すでしょう。しかし、同じく歴史を振り返るとすると、その多数派であり世の一勢力となった「教会」が自分達とは違う小数派のクリスチャンを多くの場合「異端」だとして迫害し、消滅に追いやってきた事実を思い起こさなくてはなりません。言いたい事が浮かび上がってきましたか? なぜ、彼らを迫害し、地上からいなくなるまで殺戮する必要があったのか、、、。勝者は後に、消えた彼らについて自分達の活動が正しいと説明するもっともらしい理由をいくらでも設けることができます。死人に口なしだからです。だから私は、基本、一大勢力になっていったキリスト教には警戒心を抱いている。どうしても「世」の論理が大量に入る可能性が高いからだ。迫害化のような小数派であれば、自然と自浄作用が働く。迫害されることで世から別たれるからだ。だから、イエスはそのような時ほど喜べと言ったのだ。まさにその時ほど信徒の霊性にとって喜ばしい時となるからだ。

私は異端だと呼ばれる側でいたい。後ろ指を指され、多くの教会員達から白い目で見られる側で居たい。もし、私が彼らと反目することとなるならば、彼らが「世」の側で私が「神」の側。もしくはその逆だからだ。別に私はキリスト教会に限定して話しをしたいわけではない。イエスは何と言っていたかを思い出してほしいのだ。地上に残されるあなた方を、世の人々はどのように扱うと言っていたのかを、、、。
もう時代が変わって迫害はなくなったと思っていますか? 対立が無くなったとすれば、可能性は2つです。「世」が聖書の言うような神と敵対する性質を無くして、回帰したのか、もう一つは私達が「世」になびいたかです。あなたはどちらだと思いますか? 自分達が神の側に違いないという思い込みをしていれば、答えは前者しかありません。ハレルヤでしょうか?

とすると、警戒心をなくし戦うことを捨てたあなたは、信仰を蝕まれ敵に蹂躙される一方でしょう。まだそのように感じていればいい。完全に敵と同化して「教会を破壊する異端者」を攻撃、破壊することへ情熱を燃やし、怒りに支配されている者達がいる。

私の仮想、空想でしょうかね。そうだといいと思います。顔を合わせれば心の中はさておいて、にこにこ笑顔を見せてくれるでしょうか。
私はキリスト教会において、初代教会のような地下教会。水面下で目立たない、地下水脈のような役割をしたいと思う。繁栄するのは多くの表側の教会がしてくれれば良い。私は地下でその養分と水脈を見つけ供給し続ける存在になりたい。表に出ていないだけに、敵にさらされることもあまり無く、忠実にその役割に殉ずることが出来るだろうから、、、。うん? 十分目立ってるって??



あれ? こういうことをを書きたかったわけではない。これでは異端特集ではないか、、、。それは別枠だったのに、、、。本当は死と復活について書きたかったんだけどなぁ。私達は、キリストに生きるために自ら死を選んでいくということをね。
by dynabooksx | 2011-02-01 06:47 | 真也の視点

真也の歩み、愛理の子育て日記。私たちは福島第一原発5kmの双葉町民。時代は動く。私たちはその目撃者になる。画像のペレット&薪ストーブは、真也の施工作品。新天地を暖かく燃やし照らしてくれる。
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