2004年 09月 11日
神学校の夢
こんな夢は、今まで初めてだった。最近、たくさんの人と出会い、急に刺激を受けているからかもしれない。夢なのだからよく考えるとありえないと思うこともある。しかしそれは、私にいくつかの示唆を与えてくれているようだ。
そこは私の知っている、大学の講義ルームのようだった。多分、その講義の最初の授業のようで、つかみというか導入の部分のようだった。私はなぜか教室に最初から遅れて到着したようだった。(やはり嘗ての大学の記憶は強力らしい) すでに授業は始まっており机の上には、プリントされた資料が乗っかっていた。夢だからそこがおかしいと思うのだが、その後なぜかその資料のことで回りにいる生徒と口論になる。今書きながら思うのだが、なんで夢の中でまで私はこんなに喧嘩っ早いのだろう。不思議だ。最近は随分真也君は丸くなったって言われるのに、、、、。きっと夢の中は心に制限がかかっていない状態だからだろう。現実にも制限がかかっていないって言われそう、、、。
その内容は、トラクト配布のしかたについてのアンケートのようだった。それに答えさせ、生徒の動向をつかみ、会話をはずませるつもりなのだろう。しかし、私は文書伝道には興味があるが、トラクト配布にはあまり興味がないので軽く受け流した。でも、一方そういう講義って面白いって感じていた。なぜなら、私はこれまで学校という所の授業が心から面白いと思ったことがほとんどないからだ。そのプリントの質問の最初はばかばかしいもので、トラクトの折り方だとか渡し方だとかなのだが、授業を受けているうち呑み込まれていく自分がいた。結局、教授の術中にはまったのだ。悔しい。でも面白かった。結局、どんなことであれ、本当に自分のしたい事をするのは楽しく喜びが溢れるのだった。その講義を受けている私は、導入に周りと喧嘩をしはしたが(よくよく考えてみると、これは私が人と短時間で深い交わりを持つ時の常套手段かもしれない)生き生きとしていた。学校における、そんな自分は今までは居なかった。嫌でいやで小学校の時は、神経性の胃炎にもなった程だ。無論、親には遠慮のためそんなことは言ったことがないのだが、、、。
先日の学び会で、あらためて吉田先生の救いの証しを聞く中で、『キリストに出会った後目に映るもの全てが変わって見えた。道端のタンポポまでもが美しく輝いて見えた』と聞いて本当にそうだなと思った。私にとって地獄であったはずの『学校』のイメージがここまで変わって来ているのだから。
追伸 きっとこんな講義は世界中探してもないでしょう。でも、好きなことをするって本当にいいものですね、吉田先生。『目に見える全てのものが今までとは違う』このことを聞いたとき、すぐに歌いだしたい気分でした。学びの時間を押すことと、あなたの話があまりに感動的なために途中で忘れてしまっていましたが、、、。知ってます? そのままの歌詞の歌。今度行ったら歌います。一気に30分で書き上げたが、興奮してこれから寝れるのだろうか、、、。じゃあ、寝なければ良いそれだけのことなのだが、、、。あたりが明るくなって来た。
追伸の追伸 書き終えて寝ようとしましたら一つ思い出したので帰ってきました。夢の中で喧嘩をした理由が分かりました。昨日の夕方、修理に出していた携帯のことで店員とやりあった(というか一方的に私が話したのだが、、)からだと思います。だってね、接続コネクタの接触が悪くなって修理に出したのに、一式基盤交換なのでデータは引き抜けませんでしたってぬかしてんのよ。お前達技術者集団だろって言ってやりました。(って窓口にいってもしょうがないのだけど) ケータイのデータ消えると困るんだよね。コネクタ壊れたなら信号線引き出して直結すればいい、USBなんて余裕だよ。メモリー、フラッシュだろうからデータ消えていないだろう?だから基盤返せって話しました。本気で取り組む姿勢が見られないんだよなぁ。月曜には結果が分かるでしょう。店員さんごめん、能無しは言いすぎでした。懺悔いたします。これを読んだみなさん私の事、恐ろしいやつだって思われるかも知れませんが、私ってこんな人です。
by dynabooksx
| 2004-09-11 05:02
| 驚き、発見